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参議院選挙の日

今日は参議院議員選挙の日です。これから6年間国策をその人に任せるわけです。日本の将来が気になる人は選挙にいきましょう。次は都知事選になります。よく考えて納得のいく人を選任してください。
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池袋村の風景を思う

谷端川周辺の田園風景は当時はこのような景色ではなかったのでしょうか。P1090021.jpg

池袋の地名のいわれ

池袋の地名のいわれは諸説ありますが、どうやらこの池袋平和通り一帯の地形的特徴から生まれたものと確信しました。江戸時代の伊能忠敬・江戸府内図に描かれた池袋村のなかに大きな池もしくは沼が多く点在しているのと共に家の近辺の木々や畑の畝の広がりを表しているような描写になっています。当然のことですが、これらの池もしくは沼は村ができる以前より存在していたでしょう。それが農耕技術の流入により一定の場所に定住する生活が生まれ、始めのころは血族だけの小集団であったのでしょうが、沼や池には魚や貝など自然に左右されずらい食物があり、畑では粟や稗などの作物がつくられたのでしょう。それらによりより多くの食料を生産し確保できた人々が
場所を選びながら群れることになっていきます。当然共同作業も行うでしょう。沼地の干拓には多くの人出が必要になり集団体制を維持するため30人ないし50人の単位でそこをまとめる長(おさ)ができ自然に村ができたのです。当時の周りは湿地帯もふくみ細かい水路によって各地域が分断されていて水の集まる場所、囲まれている場所の袋の場所があり、沼というよりはもっと小さな池が多く点在していた為に地名が「池袋」と自然に言われたのだと思います。言い伝えによりますと池袋の村において人を探す事は難しい、なぜならば隣村の人の情報が水路による分断により互いの情報が無いためなのだと、またそれにより自給自足の独自の共同体ができていたらしい。婚姻も狭い範囲のなかで行われていたために限られた娘をほかに奪われないようにしたという出来事が言い伝えとして残っている。当時の川柳に「瀬戸物や土瓶がみんな池袋」「池袋家鳴りをさせた罰で化け」「石投げをしてぼろの出る池袋」「下女が部屋振動こいつ池袋」「口を閉じてもふくろびるいけぶくろ」「男より女にたたる池袋」などとうたわれている。これらはまさに池袋の女を嫁にもらったり奉公にやとったらその家に禍が起きるといったことが現実に起きた事なのです。当時は若い娘が江戸にあこがれ奉公にいきそこから嫁にいくことがあったのでしょう。当時の江戸とは本郷のかねやすまででしたから「本郷もかねやすまでが江戸の内」といって池袋から1里半の距離で歩いても一時間ちょいで行けたのでした。これらの記述からも当時の池袋村の特異性が伝わってきます。

脱法ハーブ撲滅区民のつどい

今日午後1時より。池袋西口駅前広場において、脱法ハーブ撲滅区民のつどいが開催されます。住みたい街に選ばれた街で、日中それも交番脇で起こった事件でした。被害者の方々にはお見舞いならびにお悔やみ申し上げます。脱法ハーブのみならず若者を巻き込んだ風俗の地下化が進んでいるように感じています。情報化社会の影は無関心を味方に付け、形を変えて拡散しています。地域を変えることが出来るのは地域に住んでいる人です。がんばりましょう。

街の緑化

緑色を意識して街を眺めてみると周りの緑は、街路樹、歩道の生け垣、建物の道路際の植栽などが占めているだけではあるが。空に向かってのびる街路樹は目線を上に向けてくれる気がした。気が付くと心が前向きになれるチャンスを忘れてしまっていた自分がいる。緑の葉の濃淡を意識すると、なぜか懐かしい風のにおいを思い出す.。昔はここに大きな原っぱがあった。やはり街のことを変えられる人はその街に住んでいる人なのだとつくづく思った。
プロフィール

池袋の森ピース君

Author:池袋の森ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

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