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第9回スタンプラリー

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平和通り商店街が28番目の場所になり70組程の方が見えたので参加賞をお渡しいたしました。家族ずれや高齢者も含め健康の為だといってで歩く人や自転車で回っている人が多くいていずれも健康の為にはいいなと思う反面、家族ずれで自転車ですと交通事故の心配も出てきますし、はたして自転車保険に加入しているのだろうかと思ってしまいます。夕方3時頃から小雨がぱらつきましたが、夕方4時にどうにか無事に終了することができました。今年は桜が満開の時期に当たりとても盛況でした。それと商店街の平和通りの歴史小冊子の評判が良いせいか、ずいぶん尋ねられました。皆さん歴史に興味がある方が多くいらっしゃるのには驚きました。たしかに江戸時代の当商店街あたりの歴史はとてもおもしろく興味深いです。
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春生まれのナミアゲハ

夏型より二回り小振りなナミアゲハも羽化して10日がたち外気温も上ってきたので、外に出しました。昨日は気温も低く風も強かったので待ちました。現在途中で逃げたのも含め8頭が生まれそのうちの6頭を解放しました。卵から育て越冬したサナギ達ですから、ただただ無事に次の世代にバトンタッチしてもらえればと願うのみです。

地域猫の活動に対する偏見と誤解

地域猫の活動は町会単位や特定地域の仲間により構成されていることが多いのですが、今でも活動に対する偏見や誤解が生じていると思っています。動物のなかでは特に猫が好きな方が多いのは事実です。実際は心根のやさしいかたが現実の猫の状況をみて心が騒ぎ世話をする行動を起こしているのです。昭和の初めはペストの蔓延をふせぐために猫を利用してネズミの捕獲をしていた時代があり、生まれた子猫の多くは里親に引き取られ地域の需要を満たしていました。そこから現代に至るまで猫の生活環境を整備することなく過ぎてしまいました。今起きている問題は家猫と野良猫の境が無いことからおきているのだと思います。地域猫活動は、地域内の雄猫には去勢を雌猫には避妊することで、野良猫を増やさないという活動であり、その手術代の一部が行政の補助金により賄われているだけで、豊島区では雄猫は5,000円、雌猫では10,000円の助成がつきます。犬猫病院により手術代が違う場合は差額は持ち出しになります。餌代や捕獲して病院に連れて行き避妊,去勢手術後の数日は家で面倒を見ること、これらのすべてが地域猫ボランテアの方々が進んで行っていることなのです。
なにも見返りが欲しくて行っている活動ではありません。餌をあげる人でしか人間に不信感を持った野良猫を捕獲して病院に連れて行くことが出来ないのです。ボランテア活動に対し心無い人、認識の浅い人の言動がこころに突き刺さり悲しくなるのです。これらの活動を広め支援するのも地域に根ざす商店街の役割だとも考えています。

イベント無事終了

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キャラクター、愛称の授賞式もコラボプロジェクトイベントも皆様の協力により無事に終了することができました。池袋平和通りの江戸時代の歴史に興味を持っている人が会場に多く訪れてくれました。ちょうどお彼岸の時期でありお墓参りの帰りに寄っていただいた人の多くは地元池袋に住んでいた祖先のルーツに思いをはせたのでしょうか説明を興味深く聞いていて下さいました。これらの歴史情報が入った小冊子はお陰様で評判がよく無事配布することができました。おいで頂いたすべての皆様本当にありがとうございました。また同じ内容の歴史イベントと楽しい屋台、ゲームイベントを9月1日から6日(日)まで行う予定でいます。ここを鎌倉時代から江戸時代にかけて早馬が駆け抜けたかとおもうだけで景色が変わります。

キャラクター愛称作品受賞表彰式

池袋平和通りのシンボルキャラクターの発表と受賞作品制作者の方々にたいしてのお礼を情報発信基地にて行います。場所は池袋1-7-11で午後1時より開催いたします。当商店街を応援していただける方は是非参加してください。お待ちしています。

商店街小冊子の配布

3月21日(土)10時より情報発信基地(池袋1-7-11)にて配布いたします。内容は当池袋平和通りの江戸時代の状況と古地図が印刷されていて、池袋のことがわかりやすく理解できると思います。読んでいても書いた本人が飽きないのですから。もちろん未完成なところも含めての自己満足ですが。次回商店街の歴史、第2弾が発表できればと思っています。部数が少なく無くなり次第終了となりますので興味のある方は早めにおいでください。よろしくお願いいたします。ついでに商店街アンケートにもお答えいただきたいと思います。チェック記入ですので時間はかかりません。お礼に粗品を差し上げています。

池袋の森とのつながり

豊島区の公園「池袋の森」が池袋平和通り商店街にあります。とても小さな公園でも、ネーミングに森の名前が付いたのには訳があります。現在は幹回り3m88㎝のユリノキやメタセコイア、ラクウショウ、イチョウなどの大木がそびえていてその中は薄暗かったからでした。まさに中にいると薄暗く森の中にいる感がありました。それから20年がたち時間と共に樹は伐採され森から雑木林になりさらに普通にどこでも見る公園に変化してきています。このままでは当時の面影を伝える原型さえも失われてしまいます。従ってこの公園を森に復活させる事業を池袋平和通り商店街が始めることにしました。おおくの地域の見識をお持ちの方々を含めこの池袋の森を愛するすべてのひとの力を借りて進めてまいります。まずはこの公園のあるべき姿について皆さんの意見を集約することから始めます。いろいろな意見を聞くことでやるべきことが見えてきます。わが商店街は江戸時代以前の古道から発展してきたと考えています。江戸時代文化年間に描かれた伊能忠敬の江戸府内図には池袋村の中心にあった街道としてえがかれていて当時は雑司ヶ谷道と呼ばれていたところです。この場所では沼や池が多くあったところから池袋の地名が出来たのでした。村を外れるとあたりはさびしい雑木林ないし森のような場所だったと想像されます。まさに昔の「池袋の森」のような場所であっただろうと、人工の池ではありますが、池と森があることで、歴史つながりでも当時の雰囲気が醸し出されれば良いのではと考えてしまいます。人間が管理する自然公園を目指したいと思います。これは私の考えであり個人的な一つの意見です。新庁舎の豊島の森と「森」つながりができればとも考えています。

9月にイベント開催予定

今考えているのは町会の祭礼とふくろ祭りの行事の前であり、アゲハが飛ばせる季節の9月1日(火)から9月6日(日)までの6日間を予定しています。心強いことに平和通り商店街に多くの協力者が大勢現れてくれたことです。これからイベントの準備に向けて相談しながらよいものに育て、イベント当日は素晴らしい6日間にするつもりです。日替わりで行うことも可能と感じられるぐらいに思っています。縁はいなもの味なものを実感しています。私たちの周りにはいろいろな出来事が存在します。商店街でそれらの一つ一つを解決するためのお手伝いができることもあるのではと考えています。それらをいかにわかりやすく地域の方々に伝えるかが試されているのだと感じているところです。お金のかからない楽しい手作りイベントを考えることやある対策に対するボランテア募集手伝い支援、公園を美しく維持管理するためのボランテア募集事業、部活動の発表の場所提供などが考えられます。他業種とのコミュニケーションを創造することが、心の新発見につながるのです。ワクワク、ドキドキを多くのひとに伝えたいです。

飼育ハウスでアゲハが舞う

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気温があがってきたので羽化が始まりました。これからが楽しみです。イベント表彰式の後にアゲハを放つことができるようにしたいと思います。

池袋平和通り情報発信基地

3月16日(月)から22日(日)の間、池袋1-7-11において池袋平和通りの歴史の紹介をするのですが、そこでは池袋地名発祥にかかわる発表とわが商店街の地域の周りで起こった江戸時代の民話の紹介、「池袋の森」の今後の取り組み、シンボルキャラクターの発表と紹介、「アゲハとトンボを飛ばそう」の取組と今後の活動についての発表を行います。時間は第一回が午後1時、第2回が午後2時、第3回が午後3時の3回になります。普段は無料休憩所になっていて、自由にお茶が飲め入り口には水やりの為の装飾給水車が展示されていて、ストリートオルガンの曲を流しています。昨年の10月に行った「池袋平和通りと池袋の森とのコラボプロジェクトの今回が最終第2弾という事になります。今でも商店街の雰囲気は昔のたたずまいとして少しも変りばえはしませんが、地道な努力による変化が少しでもおきればよいとの気持ちで行っている所です。今は商店街活動の理解者を多くすることが大切だと感じています。メインは3月22日の午後1時に行う、シンボルキャラクターと愛称の発表と表彰式になります。その時に今は池袋西口地区において1番歴史のある商店街として記載された小冊子を初めて出します。今後の調査によっては東西を含めた池袋地区での古い歴史ある商店街として発表できるかもしれません。池袋そのものは今から20年後には日本で1番人気のある都市ナンバーワンになると思っていますので、これからも商店街の会員の皆様が誇りのもてる環境づくりをしていきます。

小冊子いよいよ発行

この度、vol.1の池袋平和通りガイドブックの発行の運びとなりました。19ページでできています。内容は商店街活動の紹介
「アゲハとトンボを飛ばそう」の活動内容、次が商店街マップと個店の紹介、今回のメインは資料でみる池袋平和通りと題して
江戸時代の古地図をもとに商店街の歴史を中心とした池袋村の紹介と民話、さらに「池袋の森」の現状紹介と取組などです。
歴史に興味ある方に是非読んでほしい小冊子です。今までにはない池袋の地名発祥のことも書いています。自己満足ではありますが、皆様に楽しんでお読みいただけましたら幸いです。限定500部しかありませんのですぐに無くなってしまうと思いますが、その時はvol2が出るのを楽しみにしてまっていてください。

シンボルキャラクター決定

応募キャラクターがあまりに良く接戦の為、投票による再選を2度おこないました。そしてようやく決定しました。
大変長らくお待たせいたしました。優秀賞は27番「ピースくん」のHINATAさん大阪府大阪市在住のかたです。準優秀賞は32番「ぴぃすさん」の高嶋さん地元東京都豊島区池袋在住のかた、つぎの特別賞は5番「ぴーすけ」の東京都杉並区在住の池城さん、さらに特別枠理事長賞に「ふうわりん」の岡橋さん地元豊島区池袋の小学生のお子さんでした。以上4名の方に決定。応募いただいた多くの皆様に心より感謝申し上げます。応募戴いたキャラクターの特に、優勝にからんだ選考では票が同数だった為大勢の先生方の意見を参考にして大変苦慮いたしました。3月22日午後1時より池袋平和通り商店街「池袋の森」入り口近くの情報発信基地において表彰式を予定しております。本当にありがとうございました。

蝶が舞う

今ハウスの中では3頭のナミアゲハが飛んでいてビオラの花の蜜を吸っていますが、外にいつ放そうかと悩んでいます。まだまだ開花している花の種類が少なく、ナミアゲハの眼では目立たない色彩の花が多いので、果たして無事に生きていけるのだろうかと心配になります。昼間の温度はハウスの中は23度ほどの暖かさですが、夜になると外気温は低く10度を下回るのですからなおさらです。ここのところ外気温が上がってきたので毎日越冬サナギの様子は見ています。中には寄生バチに侵されている者もいると思っているので、万が一発生してから発見が遅くなれば、水槽ケースの中のサナギすべてが全滅してしまうでしょう。今はハウスが1棟しかないのでやむなくこのような隔離状態を作っています。もう1棟小さなハウスを建てることとトンボ飼育池の清掃作業も並行して行うつもりです。今はイベントの為のビオラの花の世話で大忙しです。

地震に対する心配

先般、阪神淡路震災の検証として建造物の崩壊が2500年以前の川筋において起きたものだとテレビで放映していました。
川底に堆積されていた粘土層がまさに川筋を形成し低地に沿って海に流れていったことでしょう。水は粘土層や硬い岩盤の上でしか留まることはできないでしょうから、たしかにこのあたりにおいては名前の由来どおり池、沼等が多く点在していた場所です。その為ビルが新しく建設される場合は基礎においてく杭の数、深さなど配慮されてきています。池袋村の江戸時代の古地図には池、沼の景色が描写されてはいますが、現在その上に多くのビルが建設され今に至ってきています。粘土は基は水を含んだプリンの状態になっています。長い年月をかけて築いてきた都市も予防措置を軽んじると自然の脅威のまえにはひとたまりもないでしょう。新庁舎は耐震に備えたすぐれた建物だと聞いておりますが、一般の昭和の中頃に建てられたビルに関しては当時このようなような建築耐震基準もなく建てられたものがほとんどだと思っています。自分の住む町の名前に「さんずい」や「川」、「谷」、などの字が使われていたならば昔の古地図と重ね合せてみるのも良いでしょう。これから建築するならば、予防措置さえしていれば、なんら怖いことはありません。知らない事、知らされてていない事が実は怖いのです。

商店街に面した場所の井戸

昭和の区画整理の時には平和通り近辺ではたくさんの井戸とトイレ跡が発見されお祓いをされて埋め戻されました。井戸を埋めるときは井戸一つ一つに塩を撒きトイレ跡は鏡と口紅を置いた。井戸の精霊に対しては今までの感謝をあらわし、きれい好きなトイレの精霊には禍が起こらないようにと氏神様に除霊のお願いをしたものです。建設ラッシュにより多くの井戸が埋められて現在にいたります。今は飲料に適さないため使用している所も少ないと思います。当時知るところでは3m掘ると水が出ていました。地下は昔の姿を記憶していたのですね。昔この辺は池や沼が多く存在していた証拠です。

池袋平和通りと池袋の森とのコラボプロジェクト

3月16日から22日までイベントを行います20150301s-花の道蝶の道イベントチラシ

蝶の誕生

部屋の壁に画鋲でとめて置いたサナギのゆりかご(紙でつくった容器)から昨日、今日と蝶が誕生してしまいました。
サナギがちいさかったので孵るのか心配していましたが、とにかく無事でかわいい蝶になりました。作業机の目の前の壁に縦に3つ並べてとめてありましたが、羽化していたことにも気が付きませんでした。なにげなく足元をみたらすっかり翅を伸ばした姿でノートの端にとまっていました。部屋の中の3頭はエアコン暖房で春が来たといそいで羽化したのです。先月に孵った2頭の蝶は残念ながらなくなってしまいました。寒さのせいでした。今回も寒さを心配しているのですが、3頭が無事に育ってくれたらと願っています。この時の為に育てた700ポット170鉢のビオラの花は屋上で今満開に咲き誇っています。しかし今はハウスのなかでしか蝶を放すことができないのでハウスの中にビオラの花を入れています。ただしハウスには暖房設備がないのでこの時期の寒さだけが心配です。生まれたナミアゲハの体長はどれも通常よりも2周りほど小さい体をしています。実際サナギの時にはこの小さい体で本当に生きているのだろうかと思っていました。これらはみな卵から育ててきていて無事に蝶に生まれました。命の連鎖につなげられるよう大空に放つ時まで生きていてほしいと願っています。それにしても蝶の完全変態のしくみは本当に命の不思議としか言いようがありません。

四面塔

そばに高い松があったことから、1本松塔とも庚申塔ともよばれた。享保(1716~36年)のころこの付近は、池袋村のはずれであり雑司ヶ谷村のはずれでもありました。雑木林が茂り、人家もないさびしい山道であった。今の池袋平和通りの南端より雑司ヶ谷方面にさらに300m下った四面塔の場所は当時このような有様でした。この場所は江戸のはずれですが、言い換えれば江戸府中に2時間あまりでいける距離でもありました。当時四面塔は雑司ヶ谷道と言われた池袋平和通りにつながる広い道と十字に交差した狭い道との四つ角に供養と道しるべの碑として建てられたものです。この場所は寂しいところであるとともに江戸府中からも適度に離れていて、さらにこの土地は池が多く人を探しずらい場所になっていることで戦国の時代より追いはぎや強盗にとって隠れるのには格好の場所ではなかったかと推測されます。また当時の街道では道中の行き倒れもあり、ひとけのないところでは放置されたままでした。これらの人々の菩提を供養しようと池袋村の64人講中の人々が建立したものと思われます。「南無阿弥陀仏」と、正面(東面)に刻んであり、塔の左側面(南面)には中央に大き「武州豊嶋郡池袋村(ぶしゅうとしまごおり)」。その右に「南方高田雑司ヶ谷道」、また右側面(北面)には中央に「享保6(1721年)辛丑(かのとうし)天9月吉祥日」その左側に「北の方板ばしみち」と彫ってある。それに池袋村講中の心持までもが伝わってくるような道しるべでもあります。
プロフィール

ピース君

Author:ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

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