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4頭めのナミアゲハ誕生

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今朝午前中にナミアゲハが誕生して翅を乾かして無事に立派なナミアゲハになりました。ここの所毎日のように誕生していますが、条件がそろうと不思議にほとんど誤差のないことになります。以前二個の卵から観察していて蝶の誕生が1時間の誤差もない状態で誕生したことがあるので最近はそのようなものだと思い予測ができるようになりました。難しいのは生まれる月日をある程度絞ることです。9月4日(日)のイベントに多くの蝶を飛ばすことができるといいのですが、実際は難しい宿題です。
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今日は平和通り商店街三町会の一つ江戸時代は丸池のそばの斜面の原といわれた原村、現在の原町会の総会でありました。最後は頭のシャンシャンシャンの手締めにて無事終了。

蝶の行動の不思議

食事を終えた後に雛飾り3段めの橘の葉に止まらせた2頭の蝶が直線で2.5m離れた割りばしの場所に翅を閉じてとまっていました。そこは2頭とも蛹から孵った生まれた場所です。そこへ自分から飛んで帰ったようです。蝶の出すフェロモンの作用のようですが、それにしてもナミアゲハがこのような行動をするとは驚きです。そしてそこにもう1頭誕生していて今部屋には3頭のナミアゲハがいます。まだ2月26日だというのに。

ナミアゲハ誕生

昨日と今日と二日続けてナミアゲハが誕生しました。春型のため小振りな蝶ですが、外はまだまだ空気が冷えています。しばらくは室内に居てもらいます。1日たって始めて食事をしたほうの蝶はよっぽどおなかがすいていたのでしょう、10分程蜜を吸っていました。今は2頭ともお雛様の緑の橘の葉で翅を広げて休んでいます。

冬に戻ったトンボ飼育池

メダカの姿が見えなくなって数日たちます。少し前までは池の水が温んで多くのメダカの存在をきずかせてくれたもののまた静かな池に逆戻り、でも生きていることを知っている安心感で見る景色も変わって見えます。

商店街がかかえる問題

商店街がかかえる問題の解決は地域別コミュニティー創造力と実行力により解決できると思う。それぞれの地域における地域を大事にした発想と地域を巻き込んだ情報発信の善し悪しが商店街の発展の明暗を分けることになる時代になりつつあります。同様に、日本国内でかかえる問題の解決ができないのも政治圧力に迎合する批判のない社会環境に現れています。アメリカではグローバル化による社会格差により社会主義的自由主義が若者中心に支持を拡大させています。このことは日本でも発生するでしょう。既成権力の抵抗は激しいものがあるとは思いますが、これからの新しい政党も無党派層を取り込んだ分散型独立情報組織をネットワーク化して形成していく事になるでしょう。間違った政治を正しい方向に向けられる組織づくりが求められる時代になりました。今は国益を優先する政治がおろそかにされている気がしてなりません。グローバル化を進めることが政治の中心では国は滅びてしまいます。政権を預かっている政治家はすべての国が一つの地球なのだからという考えなのでしょうか。

としまグリーンウェイブ2016

グリーンウェイブは、国連が定める「国際生物多様性の日」(5月22日)の午前10時(現地時間)を中心に、世界各地で植樹等を行い、生物多様性を理解するきっかけとする活動です。地球上に東から西へと広がっていく様子を「みどりの波(グリーンウェイブ)」と表現しています。豊島区では木を植える活動、森や木の手入れや保全活動、森や木にふれあう活動、グリーンウェイブを支える活動を広く展開するため3月1日から6月15日までを実施期間としています。当池袋平和通り商店街のなかの「池袋の森」でも植樹をする準備をしています。

安心・安全パトロール宣言

3月より安心安全パトロールとして毎週木曜日午後8時より平和通りを中心とした巡廻パトロールをおこないます。応援隊に「豊島区ピースupがーる」が参加してくれます。

明治42年当時の地図を読む

民話に出てくる地名が地図上に散らばっていて位置関係がわかりやすく読み取れます。丸池の西にある「上」という場所、池の近くにある斜面の「原」の場所、池の北の方角の「本村」の場所などです。地図に描かれている等高線を川から順に色鉛筆で色を重ねていくと尾根筋と川筋が見えてきて興味深いものでしばらくは謎解きをしながら楽しめそうです。次は明治の初めの地図を探してみます。金剛院からは東の谷端川からは標高差4.8mのゆるやかな斜面が広がっていてさらに東に江戸時代にはあった川筋が読み取れます。鼡山に関してはもうしばらく調べてみます。

池袋村で江戸時代に起こった出来事

1817年(文化14年)江戸府内図完成から38年後に池袋村で起きた出来事です。1855年(安政2年10月2日)午後10時江戸直下型地震震度6強で池袋村においては5弱のドンと突き上げ揺れの状態がしばらく続いた。「破窓の記」には山川高低の間高地は緩く、低地は急なり。・・駒込・・辺は緩にて・・小石川・・は急なり。その謂れ、自然の理有るべし。とある。池袋村の池沼のあたりは武蔵野台地上の関東ローム層を含む軟弱な粘土質であるため地震動が増幅され岩盤の上にないところの池沼は液状化現象が起こりあたりの景色も少しは変化したと思われます。当時村には住んでいる人が少なかったのと人的被害がなったこと、一方江戸のいたるところで被害を受けている状況からこのことは池袋村の伝承記録として残ることはなかったと考えます。

池袋村の中の池が消えた理由

池袋村の1700年ごろの絵地図の中心にある板橋道を東に入ったところに周りを畑で囲まれた黒丸の印が二つあります。印の場所には灌がい設備があったのでしょうか。水田の印よりはっきり描かれているので大きな謎です。この当時はまだまだ多くの沼池があったと思われるのですが、沼池の記載が一切ありません。道と石地蔵、川と橋の種類等の記載が主でお寺、お宮、塚名などの名前が書がかれているのですが家屋の記載はありません。畑、田以外の空地には居村とあり、隣村との境の記載があるのです。これらすべてが池袋村ですという地図になります。提出した目的はなんだったのでしょうか。池袋村の大部分は幕府の直轄領であり寺社領、旗本領も入り交じるところでした。池袋村の石高はかなり低めに評価されていたという記述があり実際に竿で検地したならばかなり上積になるような内容です。池沼は飢饉や凶作の時にも食物の補給源として存在していたと考えると暮らしやすい場所です。当時の古地図ではまだ板橋道の西側の大部分が雑木林と森に囲まれていたところとなっています。しばらく眺めていてこれは村の道路地図ではないかと思いました。道路として考えると目印になるもの以外は邪魔な存在になるので、あえて記載はしなかったというのが本当なのではないでしょうか。

池袋村の丸池にかかわる祟り伝説

池に住む白蛇は10mはあろうかといわれ姿は神々しく神の使いだと恐れられていた頃の話です。池袋村の丸池の西の上に住む一家が次々に病いにたおれ一家六人が、わずか半月ばかりでみな亡くなったという話をきいて、空き家になったその家を、あちこちの人々が見に来ては恐ろしさに身を震わせて帰って行った。うわさでは、池の白蛇を見たいと思い、一家のうちの誰かが網を打って池をあらした、その祟りということでした。今ならば丸池以外の沼でとったサルモネラ菌に感染した亀を川魚とともに食べ食中毒になったのだろうと考えます。それと食べてから半日から2日までに股関節、ひざ、アキレス腱に痛みと腫れがおき歩くことができなくなります。体力が消耗していると感染による脱水症状により死に至ります。発見が遅ければ乾燥により2次感染の危険も減少するので他の村人には被害が発生しなかったのでしょう。当時も食中毒のおそろしさは伝え聞いていたと思いますが、加熱不足または十分加熱したとしてもその後の保存状況とか調理器具の管理などの知識はなかったとおもいます。

プランター設置の難しさ

ナミアゲハが誕生して9時間がたち1回目の食事が終わり休んでいます。、今日は外は久しぶりの雨で外に放してあげることもできません。時々翅をバタバタさせて飛ぶ訓練をしていますが、まだまだ飛べる状態ではないと思います。(今、急に太陽の陽の光で部屋がパッと明るくなりったのでなにか良いことが起こりそうな気になってしまいました。)ナミアゲハを外に放そうにもようやく花々が咲くようになり蜜を吸える状況になってきたのですが、池袋では花が咲いている場所を飛びながら探すのは大変だと思う、早く池袋平和通りに早春の花プランターが数多く設置できるようになれば通行人も楽しめて、蝶も食事ができて一石二鳥になるのですが、今は全面車道なので簡単なことではありません。

ナミアゲハ誕生

2月13日夜中の12時にナミアゲハが誕生しました。サナギの抜け殻をお尻にぶる下げたまま完全に抜けないでいるのを発見したので急いで楊枝の先で殻をはずし事なきを得ました。これで無事に翅を乾かせます。前回気が付かず翅が伸びない状態のものは長くは生きられませんでした。今 割りばしの上部で翅を乾かしている所です10分がたちだいぶ翅が大きくなってきて、時々翅を左右に開いたり閉じたりしています。

池袋村にあった丸池のはなし

高台にある一周80m程の丸池は豊富な湧水の為水がとても澄んでいました。そのため他の池とは比べようもなく美しかったのです。形は丸に近い楕円形で大事な宝物をしまう巾着袋のようでした。それに北北東に同じくらいの広さの見通しの良い湿地帯が広がっていて紐のように10m位の細い水の流れが緩やかに蛇行してつながっていました。周りは樹木に囲まれていた為に入り口は雑司ヶ谷道(板橋道)の東にあり、そこを70mばかりはいったところで夏の日差しを木の葉が優しく包んでくれていました。土地の人はこの池の近くを斜面の台地の原とよんでいました。日照りが続いても枯れることはなく住む人の心の支えになっておりました。このあたりはまだまだ住む人が少なく長い年月で繰り返す戦乱や疫病、飢饉の末たどり着いた土地でもありました。ある秋の始めのやわらかい日差しに普段は見えずらい流れの緩やかに蛇行した水面がまるで生き物のように白銀に光り空の色に青く透きとおるように輝きました。まるでここの丸池を守る白蛇のようです。この不思議な情景を見ることができた人は普段から足しげく通ってきた人しか見ることができなかったでしょう。西にあった太陽の位置、日差しの強弱、風の状態、まわりの岸辺の草の背丈など重なる条件により見ることができたのです。それこそ丸池の主である白蛇に選ばれた人でもあります。長い年月がたち住む人も三十数戸と増えてきましたが、丸池は日が暮れると人のいない深いとばりに閉ざされていました。さらに時代とともに人が集まりやっと池のあたりの生活も定着し、やや村の形を作り始めてきました。それらの人々は多からず少なからず、みな丸池の池の流れの恩恵をこうむっていました。巣鴨、雑司ヶ谷、高田とそしてここと、ほぼ人の住む集団が分かれつつ村として発展していきました。

頑張った25日間の命

1月18日に誕生したナミアゲハが、先程力尽きてしまいました。朝食事をした時、すこし元気がないように感じ気がかりだったのですが25日の命でした。生き物とかかわることの責任を感じています。経験からナミアゲハの寿命は4週間程度かと考えているのですが、これからもナミアゲハに学び知識を増やす努力をしていきます。

民話「おいはぎと石仏さま]

暗くなった板橋道を南下し高田へむかう途中にある池袋村はずれの四面塔までは1本道でした。日ごろからこのあたりは恐ろしい追いはぎがあらわれ、通行人を襲うといわれていましたので、男もこの場を早く通り抜けようとしましたが、もはや疲れて一歩も足が前に出ません。さきほどから後をつけてくる数人の足音をきいていたので、手探りで隠れ場所を探すうち、大きな石が手にふれました。道端の石仏さまでした。「お助けてください」と男はとっさに石仏さまの背中へまわり、堅く抱きついていました。確かここいら辺に隠れたようだといいながらすぐそばに来るのですが、どうも追いはぎの目には男の姿が見えないらしいのです。しばらく探していた4,5人の追いはぎ達はあきらめて雑司ヶ谷の闇の中へきえていきました。しばらくしてからその石仏さまは雑司ヶ谷法明寺の境内に引越しいたしましてきれいに花で飾られていたということでした。と物語はこのような内容ですが、この平和通りの当時は板橋道から四面塔までは民家を越えるとすぐに左は大根畑で右側は雑木林がつづいていました。この道を追いはぎに後を付けられながら足早で逃げて慌てて隠れた時に偶然石仏さまにであう事が出来た運の良さ。見つかったら最後、男の命はありませんでした。

リノベ

昨日ニュース24番組で北九州の成功例、椎名町の商店街で一階喫茶二階を宿泊施設にする空き店舗利用リノベを放映していました。区の助成金によりもう始まっているのですね。当商店街は5年後にと計画している所です。地域を巻き込んだ取り組みは絶対条件ですし失敗は許されません。それぞれの地域で個性を持ったリノベがますます数多く発生することは楽しみでもあります。

古地図の年代不詳を解明する

池袋村の古地図に年代不詳のものがありますが、江戸時代の将軍吉宗の鷹狩の後にできた「御成り七曲がり」、「御成り稲妻道」と記載されこれらは民話伝承の証になっています。雑司ヶ谷付近の鷹狩の時にこの平和通り近辺の大根畑で起きた出来事です。1718年(享保3年)将軍吉宗22歳以降のいずれかの時期になり、当時雑司ヶ谷道(板橋道)は完成しておりますが、交叉する一方の小石川道がまだ完成半ばの状態での絵図になっています。小石川道の完成が地図上で見られるのは1816年(文化13年)の伊能忠敬による江戸府内図で見ることができます。従いまして小石川道は98年間のなかで整備されたことになります。ただ奇妙なのは1800年代の伊能忠敬の江戸府内図の池袋村では沼、池が多く記載されているものが1700年代の絵地図に描かれていないのはなぜなのでしょうか。江戸府内図の第一次測量は1815年忠敬70歳2月より開始、第二次測量は1816年忠敬71歳の時8月8日から10月23日までの76日間で終了その二年後1818年5月17日に亡くなりました。絵地図で畑○、田んぼの印●が無いところでは湿地帯であったのかは今は判りません。これから詳しく調べていきます。

江戸時代にあった平和道りの石地蔵

中野宿から板橋宿へと向かうため板橋道とも雑司ヶ谷道とも言われた池袋村の中心である池袋平和通りの中ほどに石地蔵がありました。当時の雑司ヶ谷村から真っすぐ北に向かい村はずれを過ぎ池袋村に入り四面塔,庚申塚を越えてしばらくすると左手に水の湧き出ていた石橋を渡ります。そこを過ぎてすぐに石地蔵が左手に見えました 。さらに真っすぐ街道を通った十字路の北北西の脇にも石地蔵が佇んでいたのです。さらに北上した池袋村はずれ金井窪村手前の道の西に十羅刹、東に手前氷川社と奥に八幡社が並んでありました。現在は氷川神社のみ残っています。古地図の墨書きの位置と方向により向きや入り口または当時の決め事の中心的考え方や権威が反映していたと考えています。道端にあるお地蔵さまは現世利益と結びついています。人々を救う為に十の誓願をたて姿をかえて救ってくれます。旅の無事と残してきた家族の無事を祈ったり、村人は災いを除いてもらい、作物の豊穣を願うことで心が休まったことでしょう。地蔵菩薩の真言は「オンカカカビエンマエイソワカ」ですので寺院にお参りする時に唱えることでご利益がいただけます。

今年の干支の猿に思う

物心つく子供の頃には、悪いことを見たり、言ったり、聞いたりしないで素直な心で物事を吸収して育つことが大切だよと教えているのが今年の干支の日光三猿で、大人になったら 人に対して良く見よう、良く聴こう、良く話そうとするコミュニケーション力を高めることが大切だと言っているのが秩父の三猿です。江戸時代ならともかく現代では情報の良し悪しを見抜く力がないと誤った情報に流されてしまいます。良し悪しの基準も人によりまちまちです。道徳とか道に外れない行いとか徳を積むとかの言い方をしますが、人間はもともと二律背反的心を持って生きています。従って早くに自分の立ち位置を定めることが重要である気がします。そうすることで岐路の選択でも迷うことなく進むことができますし引き返すことも苦ではなくなります。

民話の中の池の位置

豊島区に古くから言い伝えられた民話の内容を調べることにより、古地図に記載された地名による位置関係から方角とか距離間を感じさせる言葉により、ある程度、その場所の位置が特定出来るのです。調査してみると伝承と違うと思われる位置関係が見受けられます。民話のことですから長い年月で不確かなものになってしまうのでしょうが、一つ一つ検証してみると面白いと思います。

蝶の不思議と応用

1月18日に誕生したナミアゲハは明日で20日になりますがどうにか無事に育っています。しかし1月22日に生まれた蝶、1月28日の翅の伸びなかった蝶は残念ながらなくなってしまいました。サナギの殻から抜け出すために体力を消耗しすぎたのでしょうか、普段目にしない状態が目の前で起きることが多くなり体験した知識が多くなります。人類より長く生きてきた蝶類の完全変態の歴史の不思議さを思うと100年後人類が惑星外宇宙に出るときの体を守る防護システムに応用されるのではないかと空想してしまいます。

路上生活者と子どもの貧困問題は結びついている

世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出した等価可処分所得の2分の1未満の世帯員を相対的貧困として戦後の絶対的貧困とは区別している、相対的貧困率は平成24年度で16.3%であり子どもが6人いたら1人が家庭で貧困問題を抱えていて、親が一人の家族では厚生労働省公式において54.6%になり二人に一人が貧困問題のほかに諸問題を抱えて生活していることになります。それにより人間形成に必要な社会にかかわりを持つ経験が希薄になり読み書きを覚える時期の就学不登校、食事の取り方による健康被害、希望が持てないための自己肯定感の減少、社会のしくみを知らない為の孤立などがあいまって深刻な影響を与えます。従って家庭の社会経済的背景の一員により子供の貧困が生まれる事になります。
今求めるのは生活保護の充実もそうですが労働賃金の上昇による安定した生活がさらに必要になります。一生懸命に働いても生活保護費にかなわない今の世の中を生産年齢人口が減少する時代だからこそ売り手市場にして賃金を上げられる社会にしていくことが必要ではないでしょうか。人手が足りないからと安い賃金で外国人労働を受け入れることはさらに貧困家庭を作ることに他なりません。仕事を探しに都会に出てきても生活支援を知らない人たちは路上生活者として生きることしかできないのが現状だと思います。

第11回新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館

池袋地区を国際アートカルチャー都市にするには605名の特命大使に各会場を見てもらい、まちかど回遊美術館を体感することで賛同する方々に展示会場を増やす努力をしていただくことが、アートカルチャー都市の発展につながると思う。

節分祭

午後三時木遣りにより開始、池袋御嶽神社神殿にて町会ごとにお祓い、玉串奉奠をおこない神楽殿に移動して豆まきをします。今年も大勢の方に参加していただきまして無事終了となりました。

ふくろ祭り新年賀詞交歓会

2月ではありますが新年会らしくお囃子で始まり町内頭、神輿保存会の音頭により手締めにて今年のふくろ祭りの無事を祈念して幕をとじました。
第49回ふくろ祭り日程は9月24日(土)開会式及び前日祭・25日(日)みこしの祭典、第17回東京よさこい日程は10月8日(土)・9日(日)の両日が踊りの祭典となります。

危険ドラッグ撲滅・暴力団追放豊島区民大会

「豊島区危険ドラッグその他の危険薬物撲滅条例」の認識を全員が持ち一丸となって、豊島区が犯罪組織の温床にならないようにすることが重要になります。また東京都に続いて今日豊島区危険ドラッグ撲滅大使にももいろクローバーZが委嘱されました。

「池袋の森」の案内冊子

「池袋の森」の案内冊子をつくる予定で準備を始めました。四季の撮りためた映像をちりばめた中に江戸時代のスパイスを一振りどうかなと考えています。邪魔にならない程度に紹介して訪れたくなる場所になれば良いでしょう。池袋駅北口から徒歩5分にあるみんなの知らない小さな小さな「池袋の森」は池袋平和通りの中ほどにひっそりと佇んでいます。

飼育場の今

屋上ハウスの中は小さなミカンが数多くなり、レモンもまた6,7個大きな実をつけていますしカラズザンショウなどは葉を落とし春の訪れを待って芽吹き準備中。1年草の百日草などは枯れて種が20羽ほどのスズメ達の餌になっています。よしずは風雨によりバラバラに破壊され片付けを待っているところ、土づくり、プランターづくりとやることは山ほどあるが外はまだ寒いので風邪をひかないように後回しです。トンボ飼育池では水中を眺めても生き物の動く姿が見受けられません。秋にはあれほどいたメダカたちが消えてしまいました。毎年春になると命が湧いて出る感があるのですが、冬は命の営みが発見しずらいのでしょう。もう春の訪れを待っているサナギたちの為にも花々を多く咲かさなければなりません。
プロフィール

池袋の森ピース君

Author:池袋の森ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

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