平和通りの歴史
池袋平和通りの歴史を調べていて驚いています。古老に聞いてもせいぜい大正時代の話しか聞けませんでしたが、調べてみると江戸時代は雑司ヶ谷道(鎌倉街道なかつ道・吾妻鏡でいう中路)の名前で主道路として使われていて王子道とのつながりがあり将軍が近くの鼠山(ねずみやま)の御鷹狩場に行く際に通った街道であり御成り七曲りと明記された道が続いています。伊能忠敬の編纂した地図にこの街道が記載されていてまさにその一部分に平和通り商店街があるのです。調べて分かったことはブログでは書ききれませんので、商店街小冊子を発行するのでその中でお知らせします。それを3月のイベントで配布します。池袋の名の言われも諸説ありますが、伊能忠敬の地図をみますと測量された時代の池袋村の中心は当商店街から始まり南のニコニコ動画館があるパルコあたりまでのようです。絵地図のなかの家並みが描かれた様子により推測しました。「南向茶話」によると鎌倉古道は雑司ヶ谷村から東に向きを変え滝野川村を通り中山道を横切り豊島村から千住に行く道筋だったそうです。雑司ヶ谷道は雑司ヶ谷の鎌倉街道分岐から板橋宿につながる最短の道です。
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