FC2ブログ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

古道だった商店街の歴史

文化14年(1817年)伊能忠敬・江戸府内図に池袋村の記載と街道が描かれています。地図には多く点在した大きな沼や池が描かれ村並みや当時この地域を治めていた方々の名も記載されています。またさらに古い時代の絵地図には、雑司ヶ谷道(当平和通り商店街が街道の一部)は普通に描かれているが、もう一方の分岐した街道は当時はまだ整備されていないまま描かれています。また街道に突き当たる交差点はまさに古道の証をいまに伝える道でもあります。いずれにせよ道が本格的に整備されたのは平安時代の末期から始まり鎌倉時代には完成したのだと考えます。古い街道はほとんど直線的に流れています。地形を見ても高低差にはあまり関係がないように感じます。当時の連絡は早馬にて行われたため、真っすぐな道が求められ道の交差部分では馬同士がぶつからないようにする為特殊な形状にしたのでしょう。緩やかなカーブの先に交叉する道の壁が見えれば馬のスピードは自然と落ちるからです。それにより馬どうしの衝突は避けられます。またその部分には当時行先名を記した一里塚のような石塔が存在していたはずです。開発によりなくなってしまったものの地域の古いお寺や神社に預けられたものもきっとあるはずです。調べればさらに詳しい様子が見えてくると思います。鎌倉時代が終わり室町時代以降政治の中心は京都に移り変わりました。南北朝時代を越え江戸に都が移るまでの間に鎌倉時代の街道は当時からの流通の流れに乗れた街道以外は、多少の痕跡を残しながら開発の為に消滅していったのだと考えます。江戸に幕府ができ参勤交代の仕組みができるころには当時の流通の邪魔にならない近道が大規模に整備されていったのだと感じます。またその証拠に近代に車の為の街道がつくられる時も直線的な近道が構築されますが、それが何故か旧街道に沿った道の流れになってしまうのです。新しい道を作るのですから既設の街道に合わせる必要はないのですが、流通の運搬をになった馬が車に変わっただけであり不必要な宿場は飛び越えて近道が選ばれることになります。それにより道は車専用高速道路として、旧道の一部の場所は地域の商店街へと発展してきたのです。
スポンサーサイト



プロフィール

ピース君

Author:ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ようこそ!
RSSリンクの表示
検索フォーム
リンク
QRコード
QR