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四面塔

そばに高い松があったことから、1本松塔とも庚申塔ともよばれた。享保(1716~36年)のころこの付近は、池袋村のはずれであり雑司ヶ谷村のはずれでもありました。雑木林が茂り、人家もないさびしい山道であった。今の池袋平和通りの南端より雑司ヶ谷方面にさらに300m下った四面塔の場所は当時このような有様でした。この場所は江戸のはずれですが、言い換えれば江戸府中に2時間あまりでいける距離でもありました。当時四面塔は雑司ヶ谷道と言われた池袋平和通りにつながる広い道と十字に交差した狭い道との四つ角に供養と道しるべの碑として建てられたものです。この場所は寂しいところであるとともに江戸府中からも適度に離れていて、さらにこの土地は池が多く人を探しずらい場所になっていることで戦国の時代より追いはぎや強盗にとって隠れるのには格好の場所ではなかったかと推測されます。また当時の街道では道中の行き倒れもあり、ひとけのないところでは放置されたままでした。これらの人々の菩提を供養しようと池袋村の64人講中の人々が建立したものと思われます。「南無阿弥陀仏」と、正面(東面)に刻んであり、塔の左側面(南面)には中央に大き「武州豊嶋郡池袋村(ぶしゅうとしまごおり)」。その右に「南方高田雑司ヶ谷道」、また右側面(北面)には中央に「享保6(1721年)辛丑(かのとうし)天9月吉祥日」その左側に「北の方板ばしみち」と彫ってある。それに池袋村講中の心持までもが伝わってくるような道しるべでもあります。
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プロフィール

ピース君

Author:ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

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