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商店街の歴史

江戸時代文化14年(1817年)日本地図を編纂した伊能忠敬が、江戸府内図に池袋村を描いています。雑司ヶ谷街道から王子道に交差して板橋宿に向かう南北の街道の一部に現在の池袋平和通り商店街が描かれていて、当時は街道に沿って家々が点在ししている様子とともに大小さまざまな大きさの沼や池が当商店街の周りに描かれていてさすが池袋の名前になるのももっともだと感心させられます。池袋メトロポリタンホテル前の公園に池袋地名の由来と記してあるが、ここは雑司ヶ谷の丸池に近く当時も大きな池があった場所です。そこは池袋村とは離れた村はずれの場所になります。またテレビのブラタモリで放映された池袋本町の川筋に囲まれた一角はたしかに袋のばしょですが、ここは当時は池袋村の北東側になり水田耕作が行われた場所として古地図に描かれていますので地名には関係ありません。池袋の地名は地形的な環境、池の形の特徴が地名として村人たちの間で広まり、そこを統治する7名の長の名前と共に知行所として池袋村との記入があり、そこが池袋平和通商店街の南側入口手前付近になりますので、そこが池袋村においての幕府の触書が置かれた場所になるのです。今でいう行政の掲示板に当たります。このことから池袋の地名の発祥の場所は当池袋平和通りの中ににあったのだと思います。
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ピース君

Author:ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

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