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池袋村にあった丸池のはなし

高台にある一周80m程の丸池は豊富な湧水の為水がとても澄んでいました。そのため他の池とは比べようもなく美しかったのです。形は丸に近い楕円形で大事な宝物をしまう巾着袋のようでした。それに北北東に同じくらいの広さの見通しの良い湿地帯が広がっていて紐のように10m位の細い水の流れが緩やかに蛇行してつながっていました。周りは樹木に囲まれていた為に入り口は雑司ヶ谷道(板橋道)の東にあり、そこを70mばかりはいったところで夏の日差しを木の葉が優しく包んでくれていました。土地の人はこの池の近くを斜面の台地の原とよんでいました。日照りが続いても枯れることはなく住む人の心の支えになっておりました。このあたりはまだまだ住む人が少なく長い年月で繰り返す戦乱や疫病、飢饉の末たどり着いた土地でもありました。ある秋の始めのやわらかい日差しに普段は見えずらい流れの緩やかに蛇行した水面がまるで生き物のように白銀に光り空の色に青く透きとおるように輝きました。まるでここの丸池を守る白蛇のようです。この不思議な情景を見ることができた人は普段から足しげく通ってきた人しか見ることができなかったでしょう。西にあった太陽の位置、日差しの強弱、風の状態、まわりの岸辺の草の背丈など重なる条件により見ることができたのです。それこそ丸池の主である白蛇に選ばれた人でもあります。長い年月がたち住む人も三十数戸と増えてきましたが、丸池は日が暮れると人のいない深いとばりに閉ざされていました。さらに時代とともに人が集まりやっと池のあたりの生活も定着し、やや村の形を作り始めてきました。それらの人々は多からず少なからず、みな丸池の池の流れの恩恵をこうむっていました。巣鴨、雑司ヶ谷、高田とそしてここと、ほぼ人の住む集団が分かれつつ村として発展していきました。
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ピース君

Author:ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

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