池袋村で江戸時代に起こった出来事
1817年(文化14年)江戸府内図完成から38年後に池袋村で起きた出来事です。1855年(安政2年10月2日)午後10時江戸直下型地震震度6強で池袋村においては5弱のドンと突き上げ揺れの状態がしばらく続いた。「破窓の記」には山川高低の間高地は緩く、低地は急なり。・・駒込・・辺は緩にて・・小石川・・は急なり。その謂れ、自然の理有るべし。とある。池袋村の池沼のあたりは武蔵野台地上の関東ローム層を含む軟弱な粘土質であるため地震動が増幅され岩盤の上にないところの池沼は液状化現象が起こりあたりの景色も少しは変化したと思われます。当時村には住んでいる人が少なかったのと人的被害がなったこと、一方江戸のいたるところで被害を受けている状況からこのことは池袋村の伝承記録として残ることはなかったと考えます。
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