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池袋村絵図から読み取る村の姿

P1080885.jpg
絵地図作成の目的は村の道路地図と畑か田圃かの耕作地図だと考えられます。池袋村一帯は純農村地帯で一部では米作がおこなわれていたが、表土より3尺は黒土でそこから1尺ばかりが関東ローム層の赤土になり土質により生産性は低かったと思われます。逆に畑にとっては黒土がよく池袋村中心部は畑が主で作物としては大麦、大根、薩摩芋がつくられていたようです。池袋村の中には高札場が置かれていてその場所も札の辻道の表記から置かれた場所の特定もできます。高札場は人の多く行きかう街道の四つ角が考えられます。地名においても一村の中にいろいろの小名があり上(かみ)、原(はら)、本村(ほんむら)などがあったが他に田場(たば)、下(しも)、一本松(いっぽんまつ)、茅野(かやの)、芝地(しばち),野道(のみち)など生活に密着した場所の呼称は生活を知るうえで重要な意味を持ちます。なかでも道路記載地図には北から庚申(こうしん)、十羅刹社(じゅうらばつしゃ)、氷川(ひかわ)、八幡社(はちまんしゃ)、稲荷神社(いなりじんじゃ)、重林寺(じゅうりんじ)、三嶽神社(みたけじんじゃ)、大六天社(だいろくてんしゃ)、四面塔(しめんとう)、壱本橋(いっぽんばし)、割坂(わりさか)の固有名詞記載があり、街道沿いには石地蔵、小川の上には石橋、土橋が存在していました。道の名前は北から新田堀之内之道(しんでんほりのうちのみち)、中丸道(なかまるみち)、弁天前道(べんてんまえみち)、野道(のみち)、小石川道(こいしかわみち)、追分(おいわけ)、雑司ヶ谷道(ぞうしがやみち))、田場へ道(たばへみち)、御成道(おなりみち)、札之辻道(ふだのつじみち)、中丸道(なかまるみち)、下道(しもみち)、上道(かみみち)、御成稲妻道(おなりいなずまみち)、御成七曲り(おなりななまがり)、長崎村江道(ながさきむらへみち)、池端通り(いけのはたどおり)、壱本松通り(いっぽんまつどおり)、鼡山道(ねずみやまみち)などの道名記載があり、村境は北は金井窪境、西は滝野川境、滝野川筋、巣鴨村境、新田堀之内村境、堀之内境、巣鴨境、巣鴨村境、西の境は中丸境、中丸村境、長崎村境、南の境は雑司ヶ谷境、鼡山筋、そうしかやさかいと一部ひらがなの記載になります。池袋村を取り巻く川のような境には川の名の記述がありませんが、当時は川筋が境界線になっていたと思われます。北側の境付近のちの本村と呼ばれる居村の北には川に沿って田んぼがあり手前に茅野が広がっていました。その西の巣鴨村境には千坪ほどの大きさの林畑の記入もあります。道の名前からはそこにはあっただろう当時の姿が見えてきます。そこには池袋村との記載はなく当時そこには人が住んでいたという証に「居村」と記入されています。したがって「居村」の記載がなく何も印が無い場所は当時、森か雑木林であったのでしょう。また地図上で居村と書いてある字の向きと場所に注目すると家屋等のあった場所の位置関係が想像できます。
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Author:ピース君
池袋平和通り商店街で、「ナミアゲハ蝶とトンボを育てて飛ばそう!」の活動や江戸時代池袋村の中心であった商店街の歴史調査報告の様子をお知らせします。
主に活動内容や地域の情報を綴ります。
興味のある方は、ちょっと立ち寄ってのぞいて見てください。

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